昭和36年7月末まで、人々の重要な足として活躍した京都市電北野線。 度々の廃止論を押し切って生き残っていた英国製のクラシックな車両は、古い都「京都」ならではの魅力の一つでした。
九州若松市内を走る石炭電車も、当時は石炭不況の中でしたが、市民の足としてバスとともに活躍していました。
朝の6時半まで早朝割引が適用されていた東京都電は、広々とした銀座をスピード豊かに走っていましたが、9時頃には電車と車が数珠繋ぎとなる渋滞が発生することもしばしば。安全地帯がなかった停留所で乗り降りも大変なこともあり、都電に乗るには機敏さが求められました。
大阪の港区では、環状線の工事が進められ、市電の代わりにバスがお客さんを運ぶ試みも。路面電車に廃止の影が忍び寄っている時代でした。
東京では、現在の東京メトロ丸の内線の一部(当時の帝都高速度交通営団の荻窪線の一部)が開通。行き詰まった都市交通の問題を解決するために、地下鉄で初めて郊外へ伸びる荻窪線全線開通を目指す昭和37年の春に向け工事が急ピッチで進められていました。
東京都内では、3つの地下鉄線の建設が進行中。昭和36年3月には南千住から仲御徒町までの区間が開通。昭和40年には線路は108キロに伸びる計画で工事が進められていました。
当時、人口や自動車は増加を続けており、都市交通は路面電車から「地下鉄の時代」の幕開けとなった年でした。
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