偉人・素顔の履歴書、第1回は戦国の風雲児・織田信長です。私たちが知る歴史上の偉人は、本当はどのような人物だったのか、真の姿を紐解いていきます。織田信長は、誰もが知る武将であり、人気が高い人物です。織田信長の履歴書を独自に作成していきましょう。一般的に思われてきた織田信長の性格や強みなどは、実際は違うかもしれません。
織田信長の履歴書
織田信長の知られざる素顔に迫る前に、ここまでの履歴書を見ていきましょう。あだ名は「うつけもの」、戦国の覇王で、性格は奇抜なもの好きで独裁的、自己PRは「わずか30年で弱小国から天下統一へ王手をかけた」ことがウリです。ちなみに、「うつけもの」とは馬鹿者という意味合いです。なぜこんな呼ばれ方をしたのでしょうか。
独創的な発想で、次から次に新たな戦法を生み出し、次々に勝利を収めていったとされる信長は、戦の天才と言われていました。本当に戦の天才だったのでしょうか。天才ではなく、今では堅実だったのではないかと考えられています。実際に、信長が使った武器を用いて検証していくと、それがわかります。信長考案の長槍を用い、足軽兵に扮した現代人が実際に検証を行いました。とても興味深い内容となっていますので、ぜひ本編をご覧ください。
信長軍の強さの象徴として知られているのが鉄砲隊です。信長は鉄砲隊の三段撃ちをしたと言われていますが、その史実に疑問符が持たれています。三段撃ちとは、千丁ずつ三隊に分かれて、代わる代わる打つという方法です。そこで、番組では火縄銃を使って検証を行ってみました。実際に行うことはできたのでしょうか。火縄銃が扱える資格を持つ方が結集して興味深い実証実験をお見逃しなく。
信長の履歴書が書き換えられる?
信長といえば、奇襲や焼き討ちなど大胆な戦略を採ったイメージがありますが、実はそうではなかったのではという疑問符が湧いてきます。よく信長の性格を表現するものとして、「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」が挙げられますが、実際には徳川家康の「泣くまで待とうホトトギス」に近かったという話もあります。信長は実は真面目で愚直な人間だったという話は信じられますか。現在、検証されている内容や書き換えられた履歴書については、番組内でご確認いただけます。
信長が望んだ天下とは
信長は何のために過酷な戦いを繰り返していったのでしょうか。将軍や天皇を上回る権力を得ることを夢見ていたのでしょうか。信長は、実は自分が天皇や将軍を倒すことや殺してはいけないと思っていたと考えられています。信長にとって、天皇を抜きにしての天下統一は考えられなかったというから少し驚きです。さらに、日本の天下統一どころか、海外も見据えていたのではという話も登場します。実際のところ、信長はどんな天下を望んでいたのか、詳しくは動画をご覧ください。
暴力的に描かれてきた信長のイメージに疑問を投げかける歴史学者も増えてきました。京都府北区にある建勲神社は、明治天皇が織田信長を祀るように命じて創建された神社であることをご存知でしょうか。なぜ、明治天皇は織田信長を尊重する対応を採ったのでしょう。信長は実は時代とともに印象が変わってきた、歴史上の人物でした。もし、信長が本当に破天荒な人物だったら、あんなに人がついていくことはなかったと思われます。愚直で真面目が強みだった信長の真実の姿を知って、驚いた方も多いのではないでしょうか。
織田信長の履歴書まとめ
戦国の風雲児として暴力的なイメージを持たれてきた織田信長でしたが、実は愚直で真面目、経済力を使って勝ち上がってきたという話があります。時代によっても信長のイメージは違ってきましたが、紐解いていくと、これまでのイメージとは異なる履歴書が完成しました。書き換えられた履歴書の内容については動画でご確認ください。