天下の謀叛人・明智光秀の真の姿とは

天下の謀叛人・明智光秀の真の姿とは 歴史

偉人・素顔の履歴書、第2回は明智光秀です。
裏切り者とも呼ばれ、名君、天才とも呼ばれる明智光秀。歴史で学ぶように、私たちがイメージする通りの人物だったのでしょうか。謎多き素顔に迫りながら、履歴書を作成していきます。

明智光秀とはどのような人物だったのか

 明智光秀というと「織田信長に対して謀反を起こした人物」というイメージが強いですが、実際はどんな人物だったのでしょうか。

 明智光秀の前半生は謎が多く、織田信長より6歳年上といった話しかわかっていません。
織田信長の上洛のきっかけを作った人物であり、比叡山の焼き討ちで信長を守り、坂本城を得るなど大出世を遂げていきます。織田信長の厚い信頼を得ながら、本能寺の変で謀反を起こします。ですが、本能寺の変からわずか11日で、豊臣秀吉によって命を落とすことになったのです。

 今回注目したいのは、履歴書の項目にある「大切な人」です。明智光秀は誰を大切な人と思っていたのでしょうか。詳しく解説します。

信長に愛された理由

 明智光秀の29歳までの人生は不明なことが多く、謎に包まれています。
なぜ明智光秀が織田信長のもとで出世できたのか。それは、通訳ができたからではないかというのが一つの見立てです。

光秀登場のキッカケ

 織田信長に愛されたのは、仕事ができる男だったからだと言われています。織田信長のわかりにくい尾張弁を、朝廷に伝える役割を果たしていたというわけです。文化教養スキルに長けていたのも明智光秀の特徴です。連歌に親しみ、織田信長の盟友である徳川家康を料理でもてなすなど、文化教養スキルを活かしてもてなしをすることにも長けていました。尾張から天下統一を狙う信長にとって、明智光秀の文化人としてのスキルは大きな力となっていたことでしょう。一番遅れて信長を支持しながら、最初に城をもらったのが明智光秀でした。

明智光秀の生涯

 明智光秀の性格は向上心が強いこと、特技はネットワークづくりに通訳、鉄砲、医学、そして趣味は連歌に茶の湯です。信長から100点の回答を求められた時に、120点の回答を出せるのが明智光秀という人物です。適当にごまかしながら何かをできる人物ではない優等生でした。

どんな性格だったのか

悪人?善人?
光秀の真の姿とは

 謀反人、裏切り者のレッテルが貼られている明智光秀、実際は温厚な人物だったという話もありますが、どんな人物だったのでしょうか。
比叡山焼き討ちでは、織田信長に気に入られるために、皆殺しを指示したとも言われ、冷酷な人物という話も残っています。比叡山焼き討ち後に家臣に僧侶を見つけ出すことを指示し、仮仏殿を作らせ、供養米を寄進するなど、家臣思いであったとも言われています。

謀反を起こしたのはなぜか

なぜ光秀は信長を討ったのか

 明智光秀がなぜ謀反を起こしたのかについては、さまざまな説があります。
大きく分類すると「突発説」「計画説」の2つの説があります。 革新的と思われていた信長のやり方は実は古く、保守的と思われていた明智光秀の考えの方が実は新しかった、そのギャップが本能寺の変につながったのかもしれません。

明智光秀の履歴書まとめ

 明智光秀の履歴書には、心の許せる人がいないなど、多くの悩みを抱えていたことも記載されることになりました。人事部からの寸評として、今でいう働き方改革があれば、明智光秀も救われていたのではという解釈が生まれています。
履歴書の詳しい内容が気になる方は、ぜひ番組をご視聴ください。

偉人・素顔の履歴書 第2回「天下の謀叛人・明智光秀 編」はBS11+で配信中

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