偉人・敗北からの教訓の第4回は、伊達政宗から学んでいきます。
伊達政宗といえば、ファンも多く、特に出身地である仙台では今でも大人気のヒーローです。
政宗のイメージと実際
政宗といえば独眼竜のイメージがありますが、あの風貌はドラマや映画でイメージされたものです。確かに天然痘で失明していますが、彼は両目が見えているようにしてほしいと切望したと言われています。黒い眼帯を着ける風貌は、かっこいい政宗として後から作られた感があるというのが、歴史家の加来先生の見立てです。子どもの頃に片目の視力を失った政宗は、奥州藩の闘いで敵を倒すために、父親も殺さなくてはならないという究極の選択をします。その痛みを乗り越えながら、奥州を守ってきました。戦国の世では徳川家から絶大な信頼も得ていた人物です。
片目が見えなくなった政宗の生き様
右目の視力を失った際、母の愛情も失ったと言われています。それは、目が見えなくなった政宗を突き放したのではなく、政宗を助けることができなかった自分を責めていたというのが見立てです。幼少期に片目が見えなくなると、自分の顔に自信がなくなり、人に顔を見られるのを嫌がったと言います。
おとなしい子だった政宗が奥州藩を率いるようになるまでには、伊達家を支え、内気な政宗を変えた3人の男たちがいました。片倉小十郎は政宗に剣術を教え、伊達家の当主となるように育てあげます。政宗も主従を超えた信頼を寄せていました。政宗のコンプレックスを払拭したのは虎哉宗乙です。彼は、中国にも片目を失った武将がおり、大変に活躍した人物がいることを教えました。
政宗に影響を与えた父・輝宗
政宗に影響を与えた一番の人物は伊達輝宗でした。伊達家16代当主、つまり政宗の父親です。政宗が秀吉や家康などと外交できたのは、父親譲りの外交手腕を発揮できたからです。
「若い時は失敗することもあるし、家臣から馬鹿にされることもあるが、お前には俺が付いているから、自分の信ずる道を突き進め。」との父からの言葉が残っています。どんな人物に出会うか、どんな教育を受けられるかは、人生に大きな影響を与えるのです。父親がいなければ、片倉小十郎や虎哉宗乙のサポートも受けられなかったとも言えます。
伊達政宗は強いイメージがありますが、実際には幼少期には内向的でした。負けん気は強く、地元を想う気持ちも強かった人物です。母親に冷たくされたと言いますが、政宗は母親が大好きで、頻繁に手紙を送ることやお金を贈っていたと言われています。
政宗が好んだ斬新さ
戦国武将たちは、新しいものや南蛮文化を好み、中でも伊達政宗の派手さや個性的な格好は度肝を抜いていました。伊達物と呼ばれるほどの独特な出で立ちでした。もっとも、これはただファッションを楽しんでいるのではなく、秀吉などに自分の存在をアピールするためや奥州藩の存在を誇示するためとも言われています。
京都の公家たちは、自分たちが一番先を行っていると思っていましたが、政宗の出で立ちを見て、前衛過ぎて理解できないと驚き、こんなすごい人物が奥州の田舎にいるのかと衝撃を受けていたと言われています。
政宗の性格は父親譲り
政宗の履歴書には新たな項目も加わっています。政宗の性格は、伊達物で派手にアピールするなど、人を喜ばせるのが好きであるとともに、人から許しを請うのがうまい人物でした。コミュニケーション力の高さが際立ちますが、これも19歳で失ってしまった父親譲りの手腕でもありました。履歴書シリーズでは、実際の人物との印象が覆ることもありますが、東北が発展したのは政宗のおかげというのは間違いありません。この点は間違いない事実のようです。
「奥州の独眼竜・伊達政宗」のまとめ
片目を失ったことで、幼少期は内向的だった伊達政宗は、実の父や育ての親たちの教えにより、コンプレックスを払拭します。伊達物と呼ばれる派手ないで立ちで自分や奥州藩の存在をアピールしました。そんな政宗の履歴書は私たちのイメージにはない点も追加されましたが、東北を救い、発展させたのが政宗というのは動かない模様です。伊達政宗に興味がある方はぜひご覧ください。