日本三大悪女「日野富子」はなぜ失敗してしまったのか?

「偉人・敗北からの教訓」日野富子 歴史

 日本の歴史には三大悪女と呼ばれる人がいます。1人目は北条政子、2人目は淀殿、そして3人目は日野富子です。金の亡者とも言われている富子は、本当に悪女だったのでしょうか。そして、彼女はなぜ悪女と呼ばれる形で歴史に名を残すことになったのでしょうか。その真相に迫ります。

日野富子の人生

 日野富子は1440年に山城の国、現在の京都で生まれます。歴史のある日野家に生まれた富子は、女性でありながら野心豊かな人間になるように育てられた子でした。彼女の兄である勝光からは、富子に対して将軍家の妻となり、天下を左右できるような人物にならなければならない、と言われていたくらいです。富子はやがて室町幕府の8代将軍である足形義政の妻となります。結婚して初めて生まれた子どもは早くに亡くなってしまい、さらに続く2人の子は女児と、なかなか子宝には恵まれませんでした。しかし、彼女はめげずに1465年にようやく、後の将軍となる義尚を産み、念願を果たしました。

「偉人・敗北からの教訓」日野富子の人生

応仁の乱の勃発と富子の権力掌握

 義尚を産んで2年後、室町幕府では応仁の乱と呼ばれる事件が起こります。本来ならば、この乱は将軍である義政が終結させるべきものでした。しかし、義政は一向にやまない乱にしびれを切らして、1473年に息子の義尚に将軍の座を明け渡してしまいます。この時、義尚はまだ幼い子どもでした。当然ながら、ほかの人物が補佐することで、幼い将軍の代わりを富子が務めるしかなかったのです。

「偉人・敗北からの教訓」日野富子の栄光と敗北

 富子は、乱を止めるためには経済の力を使わなければならないと考えていたようです。彼女は将軍に高利でお金を貸すことやあの手この手で事業を手掛けてお金を貯めながら、幕府の財政に潤沢な余裕を持たせるまでに至ります。そして、富子はその金をあえて敵方の武将に献上する策を思いつきました。そのお金は現在の価値で推定一億円にものぼるとも言われ、これによって敵方の兵士たちの不満を鎮静化するに至ります。そのほか、応仁の乱と並行して頻発していた一揆の実行者たちとも富子は裏で交渉し、民衆の人心をも掴むことにも成功していました。

「偉人・敗北からの教訓」富子の挑戦

富子はなぜ悪女と呼ばれたか?

 このように見ていくと、富子はこれまでになかった形で権力を握り、応仁の乱の長期化を食い止めた人物と言えるでしょう。では、なぜそのような人物が悪女と呼ばれてしまったのか。まず、この時代は金の力で物を言わせるようなやり方はいけないという価値観が広まっていました。富子のやり口はいかに効果的だろうと、人道に悖るとやっかまれていたのです。また、女が権力を握るなんてけしからんという女性蔑視の風潮も富子の評判を落とすのに一役買っていました。このように、周りに敵を作りながらも懸命に幕府を運営していた富子ですが、やがて身内からも敵が生まれてしまいます。
 その敵とは実の息子である義尚でした。応仁の乱が終わるころには義尚は成長し、徐々に将軍としての役割を果たす年齢が近づいていました。

「偉人・敗北からの教訓」富子はなぜ悪女と呼ばれたか

 しかし、義尚は突然将軍を辞めると言い出すようになります。プレッシャーに耐え切れなかったり、父の義政との関係が悪かった義尚にとって、将軍は重荷でしかありませんでした。富子はどうにかして考え方を改めさせようと、義尚にしっかりとした教育を施すようになります。富子にとっては良かれと思ってした行為ですが、実はこれは義尚にとってはあまり良くない教育でもありました。彼は母に干渉されすぎたあまり、自分の力に自信が持てない人間になってしまったのです。

「偉人・敗北からの教訓」できすぎた母・富子

義尚の死

 義尚はやがて本格的に将軍として権力を振るうようになり、新しい幕府を作ることを計画しました。とはいえ、新しい幕府を作るとなると、現在の幕府はどうするのか、という問題も残ります。その結果、義尚は家臣との間で諍いを起こしていきました。さらに、依然として義政が隠居しているにもかかわらず口を挟んでくる有様です。義尚はだんだん嫌気がさし、やがて酒におぼれるようになってしまいました。結果、義尚は遠征先で若くして亡くなってしまいます。自分の息子を立派な将軍にするという富子の夢は失敗に終わりました。とはいえ、富子の能力に対する信頼は絶大だったため、さまざまな形で彼女は幕府を支え続けていきます。

「偉人・敗北からの教訓」義尚の死

日野富子の敗北のまとめ

 富子の失敗の原因は結局なんだったのでしょうか。最大の原因は、富子が一人でなんでもできる人物だったため、他人を頼ることができなかった、ということが挙げられるでしょう。現代の社会でも、仕事を一人で切り回し、他人を頼りにしない人間は孤立してしまいます。もし富子がもう少し他人に頼ることができるような人間だったら、彼女の評判がこんなにも悪くなることはなかったでしょう。
 結果、彼女はいかに優秀であろうと「悪女」と呼ばれるようになってしまったのです。また、義尚の教育についてももっと客観的な観点からアドバイスできるような人間が近くにいれば、別の未来が待っていたのかもしれません。

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